<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>広報ほくしん</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://nosai.heteml.jp/publish/atom.xml" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009-09-24:/publish//2</id>
    <updated>2010-07-27T07:15:51Z</updated>
    
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Commercial 4.261</generator>

<entry>
    <title>第１２回　通常総代会を開催しました。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/06/post-17.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.49</id>

    <published>2010-06-09T23:37:25Z</published>
    <updated>2010-07-27T07:15:51Z</updated>

    <summary>　5月24日、中野市アップルシティーにおいて第12回通常総代会を総代数179名の...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="トピックス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[　5月24日、中野市アップルシティーにおいて第12回通常総代会を総代数179名のうち159名（書面含む）と関係機関から来賓の出席をいただき開催しました。<br />　小田切組合長及び来賓のあいさつに続き、議長には、山ノ内町の芦原喜一総代が選任され議事に入りました。<br />　提出議案について慎重審議の結果、全9議案が原案どおり可決承認されました。<br /><br /><br />　<font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>提出議案</strong></font><br /><br />　第1号議案　　　平成21年度事業報告、財産目録、貸借対照表、損益計算書及び剰余<br />　　　　　　　　　　 金処分案並びに不足金処理案について<br />　第2号議案　　　共済規程の一部変更について <br />　第3号議案　　　平成22年度事業計画及び収支予算案について <br />　第4号議案　　　平成22年度事務費並びに損害防止費の賦課及び徴収方法について <br />　第5号議案　　　平成22年度役員、損害評価会委員、損害評価員並びにNOSAI部長の<br />　　　　　　　　　　 報酬について <br />　第6号議案　　　平成22年度余裕金預入先金融機関について <br />　第7号議案　　　平成22年度無事戻金の支払いについて <br />　第8号議案　　　家畜診療所運営委員の委嘱について<br />　第9号議案　　　損害評価会委員の補欠選任について<br /><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/otagiriaisatu2-102.php','popup','width=999,height=666,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/otagiriaisatu2-102.php"><img style="WIDTH: 228px; HEIGHT: 154px" class="mt-image-none" alt="otagiriaisatu2.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/otagiriaisatu2-thumb-999x666-102.jpg" width="999" height="666" /></a></span><br />小田切組合長　あいさつ<br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/washizawaaisatu-81.php','popup','width=832,height=555,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/washizawaaisatu-81.php"><img style="WIDTH: 229px; HEIGHT: 152px" class="mt-image-none" alt="washizawaaisatu.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/washizawaaisatu-thumb-832x555-81.jpg" width="832" height="555" /></a></span><br />鷲澤副組合長　あいさつ<br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/ashiharagichou-82.php','popup','width=832,height=555,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/ashiharagichou-82.php"><img style="WIDTH: 229px; HEIGHT: 157px" class="mt-image-none" alt="ashiharagichou.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/ashiharagichou-thumb-832x555-82.jpg" width="832" height="555" /></a></span><br />芦原喜一議長<br /><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/shingifuukei-83.php','popup','width=832,height=555,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/shingifuukei-83.php"><img style="WIDTH: 226px; HEIGHT: 160px" class="mt-image-none" alt="shingifuukei.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/shingifuukei-thumb-832x555-83.jpg" width="832" height="555" /></a></span><br />審議風景<br /><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/saiketufuukei-84.php','popup','width=832,height=555,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/saiketufuukei-84.php"><img style="WIDTH: 229px; HEIGHT: 154px" class="mt-image-none" alt="saiketufuukei.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2010/05/saiketufuukei-thumb-832x555-84.jpg" width="832" height="555" /></a></span><br />採決風景<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第３６話：　旧平野村・西江部(現中野市)でセロリ栽培を始めた兄弟～長島要之助と氷見岩二郎～</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/06/post-29.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.54</id>

    <published>2010-06-09T05:52:13Z</published>
    <updated>2010-06-16T23:42:24Z</updated>

    <summary>　現在、中野市の西江部には、9軒の農家でつくる洋菜組合があります。この組合は、昭...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ふるさとの農業を拓いた先人たち" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[　現在、中野市の西江部には、9軒の農家でつくる洋菜組合があります。この組合は、昭和13年（1938）ごろ、西江部の農家の人たちを中心に創設されたものです。最盛期の昭和20年代から30年代半ば（1945～60）には、西江部の農家のほぼ全戸と近村の農家の数軒が加入し、「平野村清浄洋菜組合」と言っていました。当時、西江部は、セロリ栽培の特産地として位置づけられ、中央市場からも高く評価された地域でした。<br /><br />　この地域のセロリ栽培の礎をつくったのは、長島要之助と弟の氷見岩二郎兄弟。今回は、この二人の人物とセロリ栽培について紹介します。<br /><br />　要之助は、明治20年（1887）、弟の岩二郎は明治30年（1897）西江部に生まれました。岩二郎は、氷見姓になって分家に出ました。<br /><br />　要之助は篤農家で、大正末に西江部にできた「農事改良組合」のなかで農事改良を進めるのでした。その業績が認められ、同組合は大正11年（1922）平和記念東京博覧会会長より名誉ある表彰を受けました。表彰内容は、①水稲の健全育成　②米の公的検査　③青年団による稲の品種や肥料の改良を試みるための試験田事業などでした。長野県知事が水田の視察に来るなど、要之助は稲の先生として名を挙げ、米作りの指導をして歩くようになったといいます。<br /><br />　ところが、昭和4年（1929）に大恐慌が起き、西江部の農家もその渦に巻き込まれていきました。最も強く影響を受けたのは養蚕農家で、昭和4年夏秋蚕の一貫当たり平均9円7銭であったものが5年には2円50銭に暴落したのです。当時西江部にあった60数戸の農家の大部分は養蚕による現金収入で家計を支えていたので、経済恐慌の荒波に押し流されようとしていました。そんななか、要之助らは、みずからの力で経済更正計画を立て実行しようと考え、「江部農事真興会」を立ち上げたのです。会員は17名で会長に要之助が就任しました。<br /><br />　真興会が計画・推進したのは、農業経営の中に家畜を位置づける有蓄農家で、養豚など中小家畜の飼育とこれによる自給肥料を増産するというものでした。真興会が力を入れたもう一つは、セロリ（洋菜）栽培とその研究でした。<br /><br />　セロリの生育適温は15度～20度で、肥料をたくさん必要とする野菜です。また、土壌水分の多いところでないと十分な発育をしません。かといって、水もちのよい粘土土壌がよいというわけでもありません。西江部地域は、豊富な湧き水の流路に位置し、その水を引用することができました。しかも、地下水が高いことやある程度の水はけの良い土壌という条件にも合う土地柄でした。<br /><br />　要之助・岩二郎ら真興会の4人が南安曇郡の穂高町へ出かけ、勝野某という人からセロリ栽培の指導を受けました。そして、穂高町の苗を持ち帰ったり、アメリカから種を直接輸入したりして試作をしました。<br /><br />　木箱を作って種を蒔き、温室にして庭先におきました。芽がでたあとどうしたらいいかわからないことがあると、そのつど、安曇郡のセロリ栽培農家のところに聞きに行きました。しかし、1年目は栽培に失敗。2年目にはなんとか栽培できるようになりましたが、セロリの臭いが強いため、この地域で買って食べようという人はいませんでした。東京の市場に出せば売れるということが分かり、3年目には東京の中央市場への出荷ができ、セロリ栽培の手応えを感じられるようになったといいます。<br /><br />　要之助は米作りの指導員として、県下各地をまわっていたので、田畑の仕事は、もっぱら弟の岩二郎1人でやっていました。岩二郎は、一反五畝の畑のうち五畝でセロリを栽培しました。収穫したセロリを夜なべで4～5本ずつまとめて、箱詰めにして東京の神田市場へ出荷しました。消毒は収穫するまでに10回ほどやらなければなりませんでした。それでもベト病などの病気が入ってしまったときは、捨てなければなりません。それでも、岩二郎のセロリ栽培がある程度順調になると、セロリを栽培する農家が一気に増えたのです。<br /><br />　水田を利用して高くたてた畝に苗を二列に植え、間に肥料をまく栽培方法でした。根に水がいきわたるように乾燥具合を見ながら畝間に水をはりました。肥料を根に速く吸収させるためにも、畝を高くし水を灌水させる方法が適していたのです。<br /><br />　肥料は硫安を使いましたが、糞尿を3～6か月間野だめで熟成させた下肥も使っていました。ところが、戦後、進駐軍から「洋菜に蛔虫がついていてはいけない」という指導が入りました。西江部のセロリは下肥を使っているという評判がたって売れなくなってしまったのです。下肥を使わなくなっても売り上げは伸びませんでした。途方にくれていたとき、千葉・静岡・東京などのセロリ栽培の先進地では、「清浄野菜」という名前で売り上げを伸ばしていることがわかったのです。岩二郎は、「清浄野菜」というラベルを作って貼りました。この対策が功を奏し、東京など中央市場で信用されて高値で売れるようになったといいます。<br /><br />　セロリの栽培はとても手間がかかりました。肥料を多く使うので、雑草も多く、その草取りが大変で、側枝取り（子掻き）も大きな手間でした。商品価値を高めるために茎を柔らかく白くしなければなりません（柔白）。そのために、収穫前に飼料が入っていた紙の袋を切って一株ずつ巻いてわらでしばったりしたのです。収穫も大変手間のかかる作業でした。根っこをつけたまま収穫し、水を吸い込ませた苔（志賀高原の湿地帯にある苔を乾燥しておいたもの）を根っこの回りに巻き、その上に油紙を巻いて箱詰めにしました。<br /><br />　初めの頃は、リヤカーに積んで中野駅に持って行き、貨物便で東京へ送っていました。昭和30年代（1955～64）になって、西江部北組の公会堂前に下屋を出して集荷所を作り、大型トラックで送るようになりました。<br /><br />　市場とのやりとりは電話がなかったので、郵便局を通しての電報でした。郵便局員が毎日自転車で電報を配達する姿が見られたほどでした。夕方集荷場にセロリを持ち寄った時に電報も持ち寄り、いくらで売れたかの情報交換をしました。高値は一箱（15キログラム）が千円にもなり、畑の畝が「一速千円」と言われるほどでした。しかし、「クサレアリニヤスシ　ニトメロ」というような電報が入ると、夕方荷を出してから、夜行列車に乗って東京の市場へ確かめに行ったこともあったといいます。<br /><br />　出荷は、共選でなく「〇〇農園」というように名前をつけた個選（各自の出荷）でした。組合としての業務は、ラベル・木箱・規格などの統一、トラック便の運賃の交渉などでした。<br /><br />　西江部のセロリ栽培の最盛期は34～5年ころまで。技術の進歩と品種改良などで、全国各地で栽培できるようになり、西江部の栽培農家は減少し現在に至っています。<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>表紙の紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/05/post-28.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.53</id>

    <published>2010-05-31T07:23:28Z</published>
    <updated>2010-06-16T23:43:35Z</updated>

    <summary>長野市「豊栄保育園」のみなさん今日はおじいさんやおばあさん、地元のボランティアの...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="表紙の紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[長野市「豊栄保育園」のみなさん<br />今日はおじいさんやおばあさん、地元のボランティアのみなさんと一緒にサツマイモの苗を植えました。<br />丈夫に育って大きいサツマイモがとれるといいなあ。<br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 552px; HEIGHT: 374px" class="mt-image-none" alt="hyousi40.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi40.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 549px; HEIGHT: 336px" class="mt-image-none" alt="hyousi1.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi1.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 552px; HEIGHT: 356px" class="mt-image-none" alt="hyousi2.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi2.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 553px; HEIGHT: 348px" class="mt-image-none" alt="hyousi3.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi3.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 554px; HEIGHT: 362px" class="mt-image-none" alt="hyousi4.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi4.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 553px; HEIGHT: 347px" class="mt-image-none" alt="hyousi5.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi5.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="WIDTH: 552px; HEIGHT: 346px" class="mt-image-none" alt="hyousi6.JPG" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyousi6.JPG" width="1426" height="951" /></span><br /><br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日帰りのできる温泉探訪（よませ温泉　遠見乃湯）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/05/post-27.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.52</id>

    <published>2010-05-31T06:43:51Z</published>
    <updated>2010-06-16T23:44:10Z</updated>

    <summary>＜よませ温泉　遠見乃湯＞　その名のとおり、露天風呂から望む北信五岳の大パノラマが...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日帰りのできる温泉探訪" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[＜よませ温泉　遠見乃湯＞<br /><br />　その名のとおり、露天風呂から望む北信五岳の大パノラマが素晴らしい遠見乃湯です。<br />　天然温泉に浸かったまま、「信州サンセットポイント１００選」に選ばれた美しい夕焼けや、晴れた日の北アルプスなど、地元でも評判の絶景をゆったり眺めることができます。<br />　天然岩を組んだ露天風呂は、広々として開放的です。風呂は露天のみですが、洗い場は室内なので体を洗っている間に湯冷めする心配もありません。<br />　あいにくの雨に降られながら足を運んでみると、桜ながしの雨に霞がかった善光寺平が眼下いっぱいに広がり、とても幻想的でした。<br /><br />泉　　　質　：　低張性弱アルカリ性高温泉<br />効　　　能　：　肩こり・腰痛・糖尿病・リウマチ・肝臓病・痔・便秘・貧血・外傷・火傷など<br />営業時間　：　月～金　　　 　午後3:00～午後10:00<br />　　　　　　　　　土・日・祝日　午前11:00～午後10:00<br />定　休　日 ：　なし<br />料　　　金　：　600円<br />浴　　　室　：　露天風呂（男女各1）<br />他　施　設 ：　休憩室　スキー場　テニスコート　ショートゴルフ<br /><br />●山ノ内町夜間瀬６９９５　電話０２６９－３３－１１１１<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日帰りのできる温泉探訪（信州むしくらの湯　やきもち家）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/05/post-26.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.51</id>

    <published>2010-05-31T05:47:42Z</published>
    <updated>2010-06-16T23:45:28Z</updated>

    <summary>＜信州むしくらの湯　やきもち家＞　長野市街地から白馬方面に向かう途中にある「中条...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日帰りのできる温泉探訪" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[＜信州むしくらの湯　やきもち家＞<br /><br />　長野市街地から白馬方面に向かう途中にある「中条」。今年長野市になったばかりの村です。「本当にこの道でいいのかな？」と途中不安になる気持ちを持ちながら山間の中を行くと、やがて茅葺屋根が見えてきます。約140年前の古民家を移築して手を加えた立派な建物で、玄関の引き戸を開けて中に入ると大きな囲炉裏が目に入ってきます。その周りで名物の灰焼きおやきの「やきもち体験」はいかがでしょうか。具は一年を通じて野沢菜、南瓜、切干大根、あずきの4種類。そのほか季節の野菜も具になります。一度食すれば幸せな気持ちになれるおやき体験をぜひ一度おすすめします。<br />　温泉施設も充実しており、内風呂のほか露天風呂、貸切風呂もあります。いずれもそこからの眺めはすばらしい！の一言。上から見下ろす雲海を運がよければ見る事ができるかもしれません。秋から冬にかけては確率が高く特におすすめです。また、帰りには少し足をのばして「道の駅　中条」にもぜひお寄りください。<br /><br />泉　　　質　：　無色透明　ナトリウムイオン泉<br />効　　　能　：　神経痛・リウマチ等<br />営業時間　：　《日帰り入浴》　午前10:00～午後7:00<br />料　　　金　：　大人500円　　小人400円　（6歳以上12歳未満）<br />やきもち体験　：　1人1,000円　（要予約　1人4個）<br />宿　　　泊　：　お問い合わせください。<br /><br />●長野市中条日下野５２８６　電話０２６－２６７－２６４１ 
<p></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ほくしん川柳　石田一郎　選</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2010/05/post-24.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2010:/publish//2.47</id>

    <published>2010-05-18T23:50:40Z</published>
    <updated>2010-06-16T23:47:11Z</updated>

    <summary>＜秀逸＞◎昭和の日メタボの腹をさすりおる　　　　　　　　　　　　中野市　　松井　...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん40号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん川柳" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[<font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>＜秀逸＞<br /><br /><br /></strong></font>◎昭和の日メタボの腹をさすりおる<br />　　　　　　　　　　　　中野市　　松井　義典<br />　昭和の時代は太平洋戦争などを中心に厳しい時だった。飢えの時代でもあった。国民の祝日となった昭和の日には飢える人はいない。大きな腹がゴロゴロしていて良いのかと。<br /><br />◎土作りいつか花咲く汗流す<br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　石田　天山<br />　農業に精を出す汗は美しい。土は必ずその汗に実りをくれる。農民は種を蒔いてから収穫までは一途に作物との会話であろう。「花咲く」の浯が豊作への期待と思う。<br /><br />◎昇る日へ今日もやるぞと鎌を研ぐ<br />　　　　　　　　　　　　栄村　　　斉藤　正男<br />　雑草との闘いが大変であるが、雑草に負けないとする元気が伝わって来る作品。上五の「昇る日」は朝の様子を詠んでいて、強い陽ざしに負けないとする決意でもある。<br /><br />◎耐えること学んだ父の大きな背 <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　関　宏 <br />　父の背を見て育つ心意気である。父から学んだことは数えきれない。中には窮地に立たされた時などは、耐えることも学んだ、父の偉大さを読みあげていて、強さを感じる。<br /><br />◎太陽に明日の作業を予約する <br />　　　　　　　　　　　　飯綱町　　島田　洋審 <br />　一日の働きを癒やすように夕陽が一面を染めている。明日も晴天を約束しているようだ、農夫もそれに答える予定を決めている。 <br /><br /><br /><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>＜佳作＞ <br /><br /><br /></strong></font>●いとおしく余生は花の種を蒔く <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　栄 <br /><br />●農機具のストのないよう潤滑油 <br />　　　　　　　　　　　　中野市　　水野　和夫 <br /><br />●スーツより野良着が似合う日焼け顔 <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　小野　しま <br /><br />●楽しげに女の会話畦に咲く <br />　　　　　　　　　　　　信濃町　　寺田　律子 <br /><br />●今日もまた生きるつもりで鎌を研ぐ <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　飯塚　よき <br /><br />●野良仕事陽のぬくもりがありがたく <br />　　　　　　　　　　　　長野市　　林　みさ子 <br /><br />●裏切らぬ土と過ごした日の至福 <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　きみ <br /><br />●立ち話農作業の出来不出来 <br />　　　　　　　　　　　　須坂市　　青木　朱実 <br /><br />●採りたてのトマトきうりは金の味 <br />　　　　　　　　　　　　信濃町　　松本　増美 <br /><br />●春よ来い出番待ってる種袋 <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　山崎　清美 <br /><br /><br /><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>＜平成21年度年間賞＞</strong></font> <br /><br /><br />大賞 <br /><br />◎定年のない農婦の鍬光る <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　きみ <br /><br /><br />準賞 <br /><br />◎春うらら鍬を持つ手が生きかえる <br />　　　　　　　　　　　　中野市　　西野　公代 <br /><br />◎ポケットに我慢のこぶし入れたまま <br />　　　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　進 <br /><br /><br />農民賞 <br /><br />◎早起きは村一番と鍬を振る <br />　　　　　　　　　　　　中野市　　松井　義典 <br /><br /><br />ユーモア賞 <br /><br />◎もう駄目よメタボに言われ箸を置く <br />　　　　　　　　　　　　野沢温泉村　　小熊　ユキ子 <br />
<p></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第３５話：　須坂のぶどうの先駆者　勝山仲兵衛</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/12/post-18.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.38</id>

    <published>2009-12-11T07:20:46Z</published>
    <updated>2010-01-03T23:51:23Z</updated>

    <summary>　須坂市街地から小布施町に向かって国道４０３号線を進むと、「高畑」信号の少し向こ...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ふるさとの農業を拓いた先人たち" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん39号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[　須坂市街地から小布施町に向かって国道４０３号線を進むと、「高畑」信号の少し向こう左側に、道に面して大きな黒い石碑があります。「須坂ぶどう発祥地」「勝山仲兵衛翁之碑」などと刻まれています。今回は、須坂・上高井地方でもっとも早くぶどう栽培に取り組んだ、勝山仲兵衛を紹介します。<br /><br />　勝山仲兵衛は、弘化元年（１８４４）高井郡沼目村（須坂市）に生まれました。成人してからは、父とともに農業を営んでいました。<br /><br />　当時、次第に外国との貿易がさかんになり、長野県下では養蚕・蚕種製造が行なわれていました。仲兵衛も蚕種製造を始め、豊洲村高畑（須坂市）にも桑畑を持ちました。高畑は、松川左岸日滝扇状地扇央部の旱魃地です。<br /><br />　仲兵衛は毎日人力車に乗って、沼目の本宅と高畑の別宅の間を往復しながら養蚕と蚕種製造に励みました。でも、仲兵衛は、養蚕だけに頼る農業経営に不安を感じ、生糸・蚕種以外の商品作物の必要を痛感していたのでした。<br /><br />　たまたま蚕種輸出の関係で横浜に行った仲兵衛は、アメリカ人からぶどう酒をすすめられました。最初は、赤い色から、人の血と勘違いしたとの話も伝えられています。これが、仲兵衛とぶどう酒（欧米系ぶどう）との出会いでした。当時、ぶどう酒は、滋養強壮の効果があるということで、爆発的な人気を呼び、価格も高く、病気見舞いなどでは貴重品でした。<br /><br />　明治１９年（１８８６）、仲兵衛は、高畑にぶどう園の開設を計画したのです。年間降水量９５０ミリメートルという気象条件に、松川扇状地扇央部の火山灰土壌という土壌条件が、ぶどう栽培に適していると考えたからです。<br /><br />　同年、仲兵は、ぶどう栽培法調査のため、東京　駒場の農科大学（現東京大学農学部の前身）を尋ねました。大学でもまだ栽培法は明らかになっておらず、当時ぶどう栽培の第一人者であった小沢善兵衛を紹介されました。善兵衛は、アメリカに渡って欧米系ぶどうの栽培技術を学び、当時東京市下谷区（現東京都台東区谷中）の農園で、欧米系ぶどうなどの苗木を生産・販売していました。仲兵衛は、善兵衛について研究したのち、コンコード・ブライトン・ナイアガラ・ハーバードなど数十品種の苗を持ち帰りました。そして、高畑の別宅前の畑（現在のJAコープアグリスの敷地）四反歩に植え付けました。一反歩に１３本という密植栽培でした。小沢善兵衛の指導を受けてきたとはいえ、何から何まで未知なことばかりでした。<br /><br />　同年、ぶどう棚作りが始まりました。高井・山田（現高井郡高山村）の山から伐り出してきた栗の丸太で作りましたが、丸太を組み、縄で結わえる作業は、地元の人や泊り込みの新潟県の人たちがあたりました。<br /><br />　ぶどう棚の下の草刈りがまた大仕事で、常時地元の人３、４人が従事していたほどです。<br /><br />　病虫害対策にも苦慮しました。消毒が始まったのは大正８年（１９１９）ごろ、年３回ほど、手押し車に手押しポンプを載せて行ないました。薬剤はボルドー液のみで、黒痘病・晩腐病などの病気に悩まされました。また、ゾウムシなどの害虫は、園内をくまなく巡り、手で捕まえました。<br /><br />　ぶどうの販売は、県道須坂－中野線（現国道４０３号線）沿いに直売所を開いて行ないました。<br /><br />　品種ごとに根曲り竹製の手かごに盛り込み、陳列棚の上に並べて売りました。お客は自分で、かごから欲しいぶどうの房を取り、珍しさもあって飛ぶように売れました。<br /><br />　仲兵衛は、しだいに栽培面積を増やしていきました。明治２９年（１８９６）には五反歩余、同３２年には新たに五反歩拡張して一町余のぶどう園に発展しました。<br /><br />　いっぽう、仲兵衛に刺激されてぶどう栽培を始める者も出てきました。仲兵衛は、乞われるまま、ぶどう栽培技術の普及に奔走したので、近隣あわせてぶどう栽培面積は二十町ほどになり、生産量も増加しました。県道沿いでの直売のほか、地元須坂をはじめ、小布施・長野・飯山・豊野などでも販売して、味のよいことで「高畑ぶどう」は有名になりました。<br /><br />　生食需要だけでは限界を感じた仲兵衛は、明治３４年（１９０１）、ぶどう酒の醸造を始めました。しかし、販売は予想外に伸びず低調でした。明治３７年（１９０４）仲兵衛は、失意の中、惜しまれながら亡くなりました。<br /><br />　仲兵衛の遺志を継いだのは、長男恒治でした。恒治は、大正７年（１９１８）高畑殖産株式会社（長野県下初の農業法人）を設立し、本格的にぶどう酒の醸造を始めました。ぶどう栽培も二四町余に拡大しました。<br /><br />　ハーバード・イサベラ・コンコードなどを赤ぶどう酒に、アースダイヤモンド・レデーワシントン・ナイアガラなどを白ぶどう酒にし、生食用としては甲州・善光寺・デラウエアなどを栽培しました。最盛期には、ぶどう酒三十石を生産し、その販売先は北海道から関西方面にまでおよんだのです。<br /><br />　歴代県知事が視察に訪れたり、大正１３年（１９２４）の長野県物産品評会において、ぶどう酒として入賞したりしたのは高畑殖産のみでした。<br /><br />　明治末から昭和初期にかけては、須坂製糸の全盛期でした。週に一度の休日や勤務時間外に、製糸工女たちが散歩がてらに高畑殖産まで遊びに来ました。工女相手に、生食用や土産用としてぶどうなどの庭売りを行なったのです。これは、観光農園の先駆けでした。<br /><br />　現在も高畑地区から小布施橋にかけての国道４０３号線沿いには、もぎ取り園と直売店とを兼ねた観光農園があります。<br /><br />　昭和６１年（１９８６）は、仲兵衛がぶどう栽培を始めてから１００年目にあたりました。須坂市は、主力品種を巨峰に替え、全国的なぶどう産地となりました。須坂の地にぶどうを導入した仲兵衛の遺徳を称えるため、同年４月４日「須坂ぶどう百年記念祭」が行なわれました。そのとき建てられたのが、冒頭の頌徳碑です。<br /><br /><br /><br />法政大学史学会評議員<br />監修　　　　湯本　軍一<br /><br />執筆　　　　太田　典孝<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ほくしん川柳　石田一郎　選</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/12/post-14.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.36</id>

    <published>2009-12-09T00:25:27Z</published>
    <updated>2010-01-03T23:54:38Z</updated>

    <summary>＜秀逸＞◎定年のない農婦の鍬光る　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　きみ農村に嫁...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん39号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん川柳" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[＜秀逸＞<br /><br />◎定年のない農婦の鍬光る<br />　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　きみ<br />農村に嫁いで、生涯農民として生きてきた濃魂のような強さを感じとるような思いがする。定年のないと詠んでいるところが、一層農具を大切にするという気構えが出ています。<br /><br />◎夕焼けが明日の計画元気づけ<br />　　　　　　　　　　飯山市　　山崎　清美<br />明日も晴天ですよと、約束するような夕焼け空。一日の疲れを癒やす最高の夕暮れをうたいあげている。腰をのばしながら、明日はこの仕事をと決めているのでしょう。<br /><br />◎荒れた手にご苦労さんと言う軍手<br />　　　　　　　　　　飯山市　　飯塚　よき<br />もう軍手もいらないほど強い手になっているのかも知れない。一日働いた軍手には穴があいている。軍手に「ご苦労さん」と言っているが、軍手も「ご苦労さん」と労る。<br /><br />◎汗すれば実る大地にある魅力<br />　　　　　　　　　　飯山市　　小野　しま<br />真剣に農作物に精を出せば、大きな収穫につながるものがある。汗に答えた実り、農民の笑顔を知っているのは、大地であると土に感謝している農民の姿だと思います。<br /><br />◎人間の道は聞いたり教えたり<br />　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　進<br />人生の転機は、ふいに訪れることがある。迷いから抜け出すときなどは他人のアドバイスも必要だろうし、その逆もあるのでは。助け合い精神、心象の一句です。<br /><br />＜佳作＞<br /><br />●農機具の化粧なおして春を待つ<br />　　　　　　　　　　中野市　　水野　和夫<br /><br />●まな板で調子とりつつ母の歌<br />　　　　　　　　　　飯山市　　関　宏<br /><br />●孫連れて百円店でお大尽<br />　　　　　　　　　　中野市　　松井　義典<br /><br />●一年の丹精飾る菊花展<br />　　　　　　　　　　飯山市　　高橋　栄<br />●孫産れテレビ番組忘れおり<br />　　　　　　　　　　中野市　　池田　嘉幸<br /><br />●おでん鍋ひとり淋しく冬迎え<br />　　　　　　　　　　飯綱町　　寺島　尚子<br /><br />●さあやるぞ八十路の元気鞭を振り<br />　　　　　　　　　　中野市　　池田　すみ<br /><br />●農機具の分身だからドック入り<br />　　　　　　　　　　高山村　　松本　明子<br /><br />●達筆の墨の流れに温もれる<br />　　　　　　　　　　山ノ内町　　湯本　きよ<br /><br />●寝忘れを叱るがごとく窓明かり<br />　　　　　　　　　　栄村　　斉藤　正男<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日帰りのできる温泉探訪（豊野温泉　りんごの湯）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/12/post-16.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.35</id>

    <published>2009-12-08T04:53:16Z</published>
    <updated>2010-01-04T00:07:37Z</updated>

    <summary>＜豊野温泉　りんごの湯＞　県内有数のりんごの生産量を誇る長野市豊野町にある「美と...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん39号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日帰りのできる温泉探訪" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[＜豊野温泉　りんごの湯＞<br /><br />　県内有数のりんごの生産量を誇る長野市豊野町にある「美と健康」をテーマに掲げた温泉施設。広々とした開放的な大浴場や露天風呂、サウナを備え、良質の温泉をじっくり堪能できます。湯量豊富な湯は100%源泉かけ流しで、肌がしっとりスベスベする弱アルカリ性の温泉。毎月5の付く日は、りんご風呂が楽しめます。湯上りはレストランやリラックスルームでのんびり。ソフトクリームも美味しいと評判です。また、多目的ホール、個室、ゲームコーナー、屋外にはりんごの湯公園もあり、散歩も楽しめます。<br /><br />泉　　　質　：　ナトリウム・カルシウム塩化物温泉<br />効　　　能　：　疲労回復、健康増進、神経痛、筋肉痛、関節痛、打身、くじき、<br />　　　　　　　　 切傷、火傷、慢性皮膚病、慢性消化器病、慢性婦人病、冷え<br />　　　　　　　　 性など<br />営業時間　：　10:00～22:00<br />定&nbsp; 休&nbsp; 日　：　毎月第4火曜日（祝日の場合翌日）、12月31日<br />料　　　金　：　10:00～18:00　　　大人400円、小学生300円<br />　　　　　　　　　18:00～22:00　　　大人250円、小学生200円<br />　　　　　　　　　※毎月26日はふろの日で大人250円、小学生200円<br />お&nbsp; 風&nbsp; 呂　：　内湯：男女各1　　露天風呂：男女各1<br />　　　　　　　　　他に高温サウナ、遠赤外線低温サウナ<br />他&nbsp;&nbsp; 施&nbsp; 設　：　レストラン、リラックスルーム、売店、個室、農産物直売所<br />　　　　　　　　　（5～11月）など<br /><br />●長野市豊野町石４１７　　　電話０２６－２５７－６１６１ 
<p></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日帰りのできる温泉探訪（晋平の里間山温泉公園　ぽんぽこの湯）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/12/post-15.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.34</id>

    <published>2009-12-08T04:18:33Z</published>
    <updated>2010-01-04T00:08:25Z</updated>

    <summary>　＜晋平の里間山温泉公園　　ぽんぽこの湯＞　「ぽんぽこの湯」の名前の由来は、中野...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん39号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日帰りのできる温泉探訪" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[　＜晋平の里間山温泉公園　　ぽんぽこの湯＞<br /><br />　「ぽんぽこの湯」の名前の由来は、中野市出身の大作曲家中山晋平の「証城寺の狸囃子」にちなんで付けられたものです。<br />　山々に囲まれた自然豊かなぽんぽこの湯は、中野市街地を見下ろす高台にあり、眼下に田園、市街地、そして北信濃を代表する北信五岳の雄大なパノラマが楽しめます。夜景も大変すばらしく、北信濃随一の展望です。<br />　窓を大きくとった大浴場と石造りの露天風呂のほか、サウナ風呂も備え、四季折々の景観を楽しみながらのんびり入浴できます。湯上りは大広間で食事も楽しみながらごゆっくりおくつろぎ下さい。「手打ちそば」や「ぽんぽこラーメン」が人気です。<br />　また、隣接してログコテージ（宿泊）、マレットゴルフ場もあり、予約の上ご利用お楽しみいただけます。<br /><br />泉　　　質　：　ナトリウム・カルシウム－塩化物・硫酸塩泉<br />効　　　能　：　切傷、火傷、慢性皮膚炎、慢性婦人病、虚弱児童、動脈硬化症、 <br />　　　　　　　　　神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、<br />　　　　　　　　　打身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後の回復、疲労<br />　　　　　　　　　回復、健康増進<br />営業時間　：　10:00~21:00<br />定&nbsp; 休&nbsp; 日　：　※無休・ただし設備点検のため休業する場合もございます。<br />料　　　金　：　大人／ご入浴350円　　　ご入浴＋ご休憩　　500円<br />　　　　　　　　&nbsp; 子供／ご入浴150円　　　ご入浴＋ご休憩　　150円<br />　　　　　　　　　※回数券・団体割引もございます。<br />お&nbsp; 風&nbsp; 呂　：　内湯、露天風呂、水風呂、うたせ湯、サウナ<br />他&nbsp; 施&nbsp; 設　：　レストラン、売店、休憩大広間、和室、ログコテージ、マレットゴルフ<br />　　　　　　　　　場<br /><br />●中野市大字間山９５６　　　電話０２６９－２３－２６８６<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>表紙の紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/12/post-12.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.29</id>

    <published>2009-12-04T04:39:20Z</published>
    <updated>2010-01-12T01:31:43Z</updated>

    <summary>須坂市「千曲保育園」の年長さん農家からのご好意で、井上保育園のお友だちと一緒に「...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん39号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="表紙の紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[須坂市「千曲保育園」の年長さん<br />農家からのご好意で、井上保育園のお友だちと一緒に「りんご狩り」を楽しみました。<br />りんご狩りは初めてという子も多く、「簡単に採れた」と大喜び。美味しくいただきました。&nbsp; 
<p></p>
<p></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝'"><font color="#000000"></font></span>&nbsp;</p>
<p><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝'"><font color="#000000">
<p><img class="mt-image-none" height="561" alt="chikuma1.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/chikuma1.jpg" width="374" /></p>
<p></p>
<p></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-none" height="561" alt="chikuma2.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/chikuma2.jpg" width="374" /></span></font><font color="#000000"></font><font color="#000000"></font></span>
<p></p>
<p></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><font color="#000000"><img class="mt-image-none" height="374" alt="chikumasnap1.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/chikumasnap1.jpg" width="561" /></font></span>
<p></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><font color="#000000"><img class="mt-image-none" height="374" alt="chikumasnap2.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/chikumasnap2.jpg" width="561" /></font></span><font color="#000000"></font>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>果樹共済　損害評価講習会</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/09/post-10.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.23</id>

    <published>2009-09-25T09:22:53Z</published>
    <updated>2009-09-30T00:54:07Z</updated>

    <summary>８月21日（金）、損害評価会果樹共済部会委員24名が出席し、果樹共済損害評価講習...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん38号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="トピックス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[８月21日（金）、損害評価会果樹共済部会委員24名が出席し、果樹共済損害評価講習会の開催と被害発生園地の視察を実施しました。<br />今年の果樹については、既に右表のような被害が発生しています。<br /><br />特に、長野市篠ノ井の降雹による被害はひどく、雹に当たっていない果実を探すことに苦労する園地もありました。<br />損害評価講習会は、新組合再編に伴い損害評価地域が拡大したこともあり、次のことを目的に開催しました。<br />１．評価眼の統一、特に、被害果実、調整果実の見方<br />２．損害評価地区（班）の設定方法の確認<br />３．組合再編１年目、損害評価会委員同士の意思疎通を図り、損害評価を円滑に進めること。<br />４．被害状況を把握して損害評価高審議の参考とするため。<br /><br />最後に、被災園地の視察については、長野市篠ノ井、須坂市豊洲、中野市平岡の３ヵ所を実施しました。　　<br />３ヵ所の視察で約４時間を要しました。８月１２日に実施したりんごつがる（１類）の抜取の損害評価では、長野支所と須高支所で１日かかりました。　<br />これから本格的な評価時期となります。損害評価会委員並びに損害評価員の皆様には、御足労をお掛けしますが、被災果樹農家のため御協力と御支援をお願いします。<br /><br />＜主な被害発生地域と災害名・樹種の大きい表はこちらをクリックしてください。<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2009/09/hokushin38-hyou-20.php" onclick="window.open('http://nosai.heteml.jp/publish/assets_c/2009/09/hokushin38-hyou-20.php','popup','width=445,height=375,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">表示</a></span>＞<br /><br /><br /><br /> ]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ほくしん川柳　　石田一郎　選</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/09/post-8.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.20</id>

    <published>2009-09-25T09:02:21Z</published>
    <updated>2009-09-25T09:07:33Z</updated>

    <summary>＜秀逸＞◎早起きは村一番と鍬を振る　　　　　　　　中野市　　松井　義典日中の日差...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん38号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん川柳" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[＜秀逸＞<br /><br />◎早起きは村一番と鍬を振る<br />　　　　　　　　中野市　　松井　義典<br />日中の日差しが強くなる前にと、夜明けを待って田畑に出ての農作業。この句の中に出てくる農民もその一人。村でも早起きで有名になっている。村一番で句が生きている。<br /><br />◎花吹雪稚児に優しくまとい付き<br />　　　　　　　　飯山市　　高橋　栄<br />花まつりの稚児行列を写生した一句で、一枚のスナップ写真を見るようだ。<br />天童に扮した子供たちに道中の桜花が降り注ぐ、その美しさを下五で「まとい付き」と上手な一句。<br /><br />◎切り取っておけば良かった記事思い<br />　　　　　　　　栄村　　　斉藤　正男<br />新聞や雑誌などの記事を切り抜いてスクラップにしている人がいる。<br />作者は、今思えばあの記事を取っておけばと悔いている。自分の心象を上手に詠んでいる。<br /><br />◎幸せは働く手がある足がある<br />　　　　　　　　飯山市　　小野　しま<br />働いて働いて来た手足である。節々が高く荒れた手であるが、健康で生きていられた感謝の一句と思う。土は正直で働いた人へ答をくれるのです。<br /><br /><br />＜佳作＞<br /><br />●農一途こころもはずむ土の詩<br />　　　　　　　　飯山市　　高橋　きみ<br /><br />●雨三日降れば農夫がぼやきだし<br />　　　　　　　　高山村　　松本　明子<br /><br />●傘寿会青春もどる恋の歌<br />　　　　　　　　山ノ内町　湯本　きよ<br /><br />●吹く風にまかせて余生野に生きる<br />　　　　　　　　飯山市　　飯塚　よき<br /><br />●フレッシュだ朝の食卓夏野菜<br />　　　　　　　　飯綱町　　寺島　尚子<br /><br />●シルバーで仕事ある日の妻やさし<br />　　　　　　　　中野市　　水野　和夫<br /><br />●ど忘れに作り笑顔で知ったふり<br />　　　　　　　　長野市　　和田　のぶお<br /><br />●サイレンが流れる脳裏に事件事故<br />　　　　　　　　小布施町　関　保夫<br /><br /><br />《平成二十年度年間賞》<br />大賞<br />◎熱燗で明日の大地を守る鬼<br />　　　　　　　　飯山市　　石田　天山<br /><br />準賞<br />◎ここち好い風だ約束守った日<br />　　　　　　　　飯山市　　高橋　栄<br /><br />◎母がいる古里すべてあたたかい<br />　　　　　　　　中野市　　西野　公代<br /><br />農民賞<br />◎節高のこの手で秋をしめくくる<br />　　　　　　　　飯山市　　山崎　清美<br /><br />ユーモア賞<br />◎明日の旅こんなにうれしい浅眠り<br />　　　　　　　　山ノ内町　湯本　きよ<br /><br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>表紙の紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/09/post-6.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.17</id>

    <published>2009-09-25T08:38:02Z</published>
    <updated>2009-12-04T05:54:21Z</updated>

    <summary>信濃町柏原保育所のみなさんです。四季折々の恵まれた自然環境を身体で感じながら生き...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ほくしん38号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="表紙の紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[信濃町柏原保育所のみなさんです。<br /><br />四季折々の恵まれた自然環境を身体で感じながら生き生きと楽しく遊んでいます。 
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-none" height="375" alt="hyoushi500.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/hyoushi500.jpg" width="500" /></span>
<p></p>
<p></p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-none" height="375" alt="DSCF0008-500.jpg" src="http://nosai.heteml.jp/publish/DSCF0008-500.jpg" width="500" /></span><br /></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第３４話：長野県のりんご栽培の先駆者　真島町の中沢貞五郎</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://nosai.heteml.jp/publish/2009/09/post-7.php" />
    <id>tag:nosai.heteml.jp,2009:/publish//2.14</id>

    <published>2009-09-25T08:12:55Z</published>
    <updated>2009-09-30T00:48:42Z</updated>

    <summary>長野市立真島小学校からホワイトリングに向かって県道445号線を進むと、本道の信号...</summary>
    <author>
        <name>nosai</name>
        
    </author>
    
        <category term="ふるさとの農業を拓いた先人たち" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ほくしん38号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nosai.heteml.jp/publish/">
        <![CDATA[長野市立真島小学校からホワイトリングに向かって県道445号線を進むと、本道の信号より少し手前の左側に、「貞嶽翁之碑」と書かれた大きな石碑が見えてきます。碑文を見ると、「翁名ハ貞五郎中沢氏」、「苹果(へいが)創業50周年」、「昭和９年」、「長野県知事岡田周造撰竝書」などの文字が読めます。今回は、長野県でもっとも早くりんご(苹果)栽培に取り組んだ人物の一人、更級郡真島村(現長野市真島)の中沢貞五郎を紹介します。<br /><br />中沢貞五郎は、真島村戸長を務めた治五右衛門の子として文久２年(1862)に生まれました。そのころの中沢家は、現在の中沢家がある場所よりも千曲川に近いところにありました。中沢家は江戸時代から篤農家(手作地主)として知られていました。<br /><br />貞五郎の祖父は源八といい、江戸時代の寛政年間(1789～1800)から、桑の実生苗木を育てたり、蚕種を製造したりしました。また、父の治五右衛門は、真島村戸長を務めたり、明治12年（1879）　に長野県勧業課からりんご （苹果）の苗木を分けてもらって自分の家の庭で育てたりしました。<br /><br />ところで、治五右衛門が県から分与されたりんごの苗木はわずか二本でした。そのとき、貞五郎は17歳になっていました。その後明治17年に、横浜で15種類のりんごの苗木や梨の苗木、レグホン種の鶏などを購入してきました。更級郡共和村岡田(現長野市篠ノ井)の柳澤亀作や同郡八幡村（現千曲市八幡）の和田郡平も横浜へりんごの苗木を買い求めに出かけています。更級郡の村々は、養蚕・生糸が盛んだったので、横浜とのつながりも深かったのでしょう。<br /><br />このころから、りんごの商品価値に着目して積極的に栽培しようとする先駆者が何人か現れました。その一人、貞五郎は29年には、生家のあった場所に200本のりんご苗木を植えて、本格的にりんご栽培を始めました。中沢家は、このときまでにはすでに水害の難を避けるため、現在地へ移っていたということです。かつての屋敷地だったので、「古屋敷苹果園」と名づけました。この年の５月半ば、更級郡下は、大凍霜害にあいました。でも、りんごとその木の下の桑園は被害がほとんどなかったといいます。<br /><br />貞五郎の大きな功績の一つとして、りんご栽培を含めた農業の協同化を進めたことです。明治33年、農家が協同して信用・販売・購買・利用の事業をおこなうことを目的に、産業組合法が公布されました。この年、真島村では更真信用組合を設立。38年には、江戸時代から苗木で有名な埼玉県の安行からりんごと柿の苗木を買い入れ、仲間にも分けました。貞五郎は、このころから積極的にりんご栽培の仲間を増やそうとしました。<br /><br />つぎに、貞五郎に関係するりんご栽培や農業経営の協同化の動きをあげてみます。45年、真島村果樹組合（のちに真島園芸組合に改称）が設立、貞五郎が組合長に推挙されました。大正５年(1916)、更級園芸組合を設立、貞五郎は副会長に就任（組合長は郡の農会長）。昭和４年（1929）、同組合長に就任。７年、同組合長を辞任。後任に長男源八。<br /><br />12年には、真島園芸組合の基本金として100円を寄贈しました。貞五郎らがおこなった協同化の具体的な内容を、大正２年の真島村果樹組合の事業報告で見てみます。３月に県農事試験場や長野市往生地などを視察。４月には県農事試験場の技師を呼んで、りんご栽培に関する講話会と実地指導。組合員の果樹園で薬剤共同調整。11月、大正博覧会への出品物とりまとめ。これ以後、品評会の実施（大正10）やりんご栽培の先進地視察（大正11）、りんご剪定競技会の開催（昭和２）などもおこないました。また、更級郡産の優良りんごを宮家へ献納し、郡産りんごの品質の良さを広める機会にもしたのでしょう。<br /><br />貞五郎は更級園芸組合のリーダーとして同業者のまとめ役を務めたが、個人としても、りんご栽培・経営の研究に熱心に取り組みました。明治40年(1907)には、振替貯金口座に加入しました。このころから、りんごの販売で得た代金の回収に、口座を利用する必要性が出てきたのでしょう。それは、前年の39年はりんごが豊作で505円の収入もあったからです。41年、岡山県から病害虫駆除のためにくん蒸袋を購入し、青酸カリくん蒸を実施。それまでの研究のたまものだったのでしょう。同年、長野市城山で開催された一府十県連合共進会で、貞五郎が出品したりんご（苹果）が一等賞を受賞し、農商務大臣から金牌を授与されました。また、43年には長野県農事試験場の嘱託を受けて、国光種の黒星病の試験を実施。大正７年には長野県農会からりんご調査の嘱託を受けました。昭和10年には県農事試験場から綿虫防除のための寄生蜂を分けてもらったり、組合の事業だけでなく、自分自身でも個人的に青森県や北海道へ視察に出かけています。このように、先進的な技術を取り入れる進取の気性にも富んでいたのです。<br /><br />このような貞五郎のりんご栽培にかける情熱も、家族に支えられたものでした。貞五郎の子どもは八男一女。長男の源八は父の跡を継いで、りんご栽培に取り組んだほか、地域の農業関係団体の役員を務めました。二男の源七郎は、りんご栽培の先進地だった東北地方や北海道余市へ視察に派遣されました（明治43）。三男源紀の宅地には真島中央荷造所が新築されました（昭和11）。四男源士郎は、開校間もない東京府立園芸学校へ入学しました（明治44）。五男の源監は、貞五郎が明治末から大正にかけて真島村の千曲川対岸にあたる大室山でりんご栽培を試みたとき、父を熱心に手伝いました。大室山でりんごを育てるため、栽培では、綿虫というりんごの害虫がいない上水内郡神郷村(現長野市豊野)に土地を借りて苗木を育て、大室山に植えました。しかし、陽当たりが良くないうえ、傾斜も急すぎたこともあり、数年でりんご園は廃止せざるを得ませんでした。六男源昇は盛岡高等農林学校を卒業し、農業の勉学を深めました。<br /><br />昭和九年に建てられた「貞嶽翁之碑」に記された「資性温厚」な人柄が、まわりの人をして、さまざまな産業組合の重要な役職や真島村長に推させずにはおかなかったのでしょう。20年５月、貞五郎は、自宅の庭にあった明治12年に県から分与されたりんごの木の脇に、父治五右衛門の頌徳碑を建てました。父と子がとともに取り組んだ、わが県におけるりんご栽培での先駆的役割の証です。その年の８月に84歳でこの世を去りました。昭和40年ころにはその木も枯れてしまい、二代目の木も10年ほど前に枯れてしまったそうです。<br /><br />監修：湯本軍一（法政大学史学会評議員）<br />執筆：舘林弘毅<br /><br />]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>
